吉田松陰の句にこういうのがあります。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
こういう行動を取ればこのような結果になることは十分わかっているけれど、日本人の魂を貫くにはそうせざるを得ないという意味でしょうか。
幕末に浦賀に来たペリー艦隊を見て、これでは到底外国と戦っても勝ち目がないことを自覚した松陰先生。
そこでペリー艦隊に乗り込んで外国の軍備を見に行こうと密航を企てたのは有名な話。法を破ったことになりますね。
兵学者だった松陰が、孫子の兵法「敵を知り己を知れば百戦危うからず」に従った背景があるから。
国を憂う気持ちから出た正義。
これをどう捉えるか。
また、この時期になると毎年必ずTV放映される『忠臣蔵』
観方によれば、一種の計画的テロ集団の行為で、法律的には犯罪になります。
しかし、喧嘩両成敗の原則を無視したお上に対して「それは違うだろう」と正義を貫いた姿はどうみえるだろうか。
江戸時代後期、「海に国境はない」を志とし、鎖国だったために藩に莫大な利益をもたらしながら北前交易を密貿易として扱われ憤死した銭屋五兵衛の場合はどうなのか。
開国した途端、密貿易の意味自体が失われたというのに…。
もちろん法を犯すことを許すわけではないし、内容が変われば状況も変わります。
何が言いたいか。
もっと日常の規則のあり方に落とし込んで考えてみるとどうなるか。
社内規定、就業規則、学校校則など。
網羅されている事柄は全て正しい道に沿ったものだろうか。
正しい道とは、なぜ?何のために?誰のために?に曇りがないこと。
基準で拘束しないと足並みが乱れるから?社員を管理したいため?会社に都合よく利用するため?
これって、君のためを思ってやっているんだよと言いながら、実は自分に飛び火しないための予防策と同じように思えるのですが…。
ここに守る側の視点はあるのかということ。
法律や規則は、利用する側の立場に立ったものじゃないとうまく機能しないでしょう。
一般的には、作られた制度自体に多くの矛盾を感じるのはそのせいではないでしょうか。所謂作った側の押しつけですね。
また、先の例のような「正しい道は何か?」を探る時、作る側より受ける側から出てくるケースがまっとうだったりします。
ということは過信してはいけないですね。
作成するのが専門家であっても所属する人たちの立場に立てるわけではないから。
項目を作れることと守れることに相対関係はないということ。
最後に、ではどうするか?
土台を作ってから実行する側の意見を聴くことではないでしょうか。
そこで気づきが生まれ、双方にとって最もよい落とし所を見つけていく。
価値観は、「お互いにとって何が正しいか」
そうやって内容と行動が無理なく一致する環境を整えていくこと。
これも一種の【知行合一】 だと思います。
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