人はつい、自分ではコントロールできないことを何とかしようと思いがち。
気を揉んでも自分の思い通りにならないことは多々あります。
天気、災害、生い立ち、他人など…。
人については親子であっても別人格。
親が優位性を持っているとみなしているから子どもをコントロールしようとするのはその典型的な例ですね。
自分が掛けているメガネで判断すれば押しつけになり、揉めごとの種になりやすいですね。
だからと言って無関心であれという意味ではなく、自分のできることを探す。
できることが見つかったら無理のない範囲で行動する。
先の子供の例で言えば、勉強するかしないかは子どもの問題。
親は、もし勉強しないと将来どうなるかを伝え、最終的な判断は子どもに任せる。
できることを見つけたら行動することが本質。行動しなければ見つけたことにはならないから。
知ることと行うことは一緒だと思っているので…。
「微力だが、無力ではない」
認定NPO法人テラ・ルネッサンスの鬼丸さんの言葉が脳裏に浮かぶ。
それでいいと心の中で呟く。
アドラー心理学で言う"課題の分離”ですね。
年初からの悲報にも簡単にコメントを出せないのはそういうことの影響でしょうか。
不測の事態は必ず起こる。
いつ起こるかわからない。
しかも、頻繁に起こる可能性がある。
まるで人の生死のようです。
「人は必ず死ぬ」
「いつ死ぬかわからない」
「人生お一人様一回限り」
だから、毎日の今ココを丁寧に生きる。
どんなに長生きしても未練は残るので、せめて悔いのない生き方をしたい。
これも「微力だが、無力ではない」に通じると感じています。
今回の大惨事から改めて確認できたものもあり方です。
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