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  • 執筆者の写真竹内 明仁

「人間らしさが失われていく働き方」

今日は千葉の勝浦に来ています。

「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という病気になってから献身的に援助してくれたかみさんへの感謝の気持ちと同時に、今後拠点を分散した際の自分にとって効果的な場所の選択肢を拡げるために、敢えて会員制リゾートマンションの宿泊体験に申込みました。

ビジネス拠点を考える時、ホテルや通常の賃貸マンションにするのが常かも知れませんが、自分の働き方としてどうなのか?という疑問から生じた選択肢のひとつです。

交通の便などには問題がある一方で、自分と向き合う時間が増える環境は大切です。


その働き方…。


先日も、東京から企業側労務専門の若手弁護士から『働き方改革関連法の実務対策』についてのセミナーを受講する機会がありました。

この新しい法令の勉強会に何度か参加した中で私がいつも感じるのは、「本質に切り込まずに表面的な仕組み化ばかりを考えているので無理が生じる」ことです。


例えば、上司から「○○について自宅で考えてきなさい」と言われた部下が、自宅で考えた結果を成果物として提出したら労働時間に当たる可能性が高いとか、就業時間が終了したら職場にだらだらといないでさっさと帰ることが大事だとか、社員さんから追及されても会社側に非はないことを証明できる体制づくりに偏重している例が散見されます。


確かに労働時間管理や残業代の支給などについて社員さん側から公に問題提起された時は会社側に証明責任がありますが、このような観点からの労使関係で果たして“チーム”や“組織”というものが機能するのでしょうか。

性悪説に基づいた仕組み化には人に対する信頼関係が存在しないのです。


信頼関係を築くためには、社員さんが「どうしたら成長できるのか」「どうしたらモチベーションを高く持って働けるのか」「どうしたら幸せになるのか」を念頭に置いて、会社が社員さんに働きかけるのが先決ではないでしょうか。その姿勢を継続することでお互いに信頼関係が芽生えて来て初めて“集団”から“チーム”や“組織”と呼べる形になるのが自然の理でしょう。

どうも「給料を払っているのだから指示命令に従うのは当たり前」「上司の言うことは当然聞くべきもの」といった昔ながらの風潮がまだ意識の中に根強く残っているようです。


「人は皆成長するものである」という大久保寛司さんの言葉からすると、経営者や上司の役割を担っている人が「自分に指を向けない」ことが原因で、社員さんの能力を引き出していないことに気づいていないことが大きな要因だと思わざるを得ません。

働き手を単に労働者と割り切っているだけではこの考え方は生まれて来ないでしょう。

人間関係が仕事の原点とすれば、“人としてどう在るべきか”を自分自身に問う姿勢が不可欠です。

そこに目を向けないで短期的な改革で乗り切ろうとするから効果的な手法になかなか行き着けない。


仕組みをつくる際にも、「如何に利益を上げるか」そのためには「如何にコストを下げるか」などの一方向からの会社側都合の見方があまりにも優先されるため、歪みが生じるのだと思います。

仕組み化の観点から言えば、指示命令型の威圧的なピラミッド型の組織から、経営者をサークルの中心に置きながらも周りが全て繋がっているフラット型の「サーキュラーマネジメント」型に変えたり、コストダウン偏重にならないように値決めの主導権を握れる商品開発や事業形態への転換を模索したりと、既存の事業の中で「自分に指を向ける」姿勢が今後不可欠になる時代ではないでしょうか。

それが経営者等に課された役割のひとつですから、それを放棄するならば、時代の流れに呑み込まれてしまっても仕方ないでしょう。


外部の専門家である弁護士・社労士・コンサルタント等も、目に見える仕組み化だけではなく、人の内面と向き合いながらの仕組み化に取組むことが本当の意味で企業のお役に立てることだと感じています。






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